「恨む」熱量 「赦す」熱量

●恨む
『リチャード三世』におけるマーガレットは、夫と子供を(国王の座を狙う)リチャードに殺された恨みを持ち続け、それを助けてもくれなかった(そして間接的に/直接的に、彼らの死への引き金をひいた)一族に、呪いを囁いて歩いている。
実際のところ、あの時代の領地も財産もない女性は、引き受けてくれる親族がいなければ生涯を閉じられたも同然だし、それ以上に大事なものを奪われた事を恨み呪う気持ちが大きいのは当たり前で。

で、幽鬼のようにそれをつぶやく魔女と化す。よくわかる。
日本だったら金輪かぶって丑の刻参りとかやっちゃうやつだ。

丑の刻参りの願いを聞き届ける相手は基本、それこそ幽鬼か魔物だと思うのだけれど、マーガレットは生きてる人間相手にそれをやる。
生きてる人間は死者よりパワフルで、反応もある。
食べない寝ない身を整えない彼女は異臭を放ち人から避けられるのだが、それでも劇作のマーガレットは自身に満ちていて、前だけむいて、恨みに対してとても前向きだった。
呪い殺してやる、というより、私の呪いで死ね!って言い放つ強さ。
国がどうなろうと、お前の手にさえ堕ちなければどうでもいい、と言い出す強さ。
全然まけてない。負け犬なんかじゃない。彼女こそがあの劇中唯一の勝者だ。

その恨む熱量にあてられた。
わりとすきだ。私にはそんな熱量がなくてとてもできないが。

 

 

●赦す
『おんな城主直虎』における直虎は、弱小地方領主であり、井伊という家が必死で(それこそなりふりかまわず)生き残りをかけ戦国をサバイブしようとした結果、直虎は幼少の頃に出家するハメになり、父親をはじめとした男たちは次々と謀殺と戦で亡くなる。
勢いで直虎は女性ながらに領主になり、反対する家老や家臣が最初は渋々ながら、そのあとは彼女の実力と面白さ、パワフルさにあてられるようにして味方になる。

でも
結局は色々のたくらみや(かなりぐずぐずの)策はそうそうはうまくいかず、いろんなツケが回ってくる。
作劇としてとても残酷に、すべての「したこと」のツケがまわってくるのだ。
そして最終的にそのツケは、大事な(肉親感情というか男性同士なら完全にブロマンスのような関係の)幼馴染の政次をこの手で始末してみせる行為により血で払ってみせた。
家としての潔白証明をしなきゃならなくなったから。

彼女はその後PTSDにもなった。始末してみせなければならなかった相手が、自分の領地を収めるという一見屈辱的な状況に耐えた。そして彼らとも一緒にまた別の大きな勢力相手に耐え忍んだ。何事かの共犯になった。
その結果、
彼女は領主であった時以上に、土地を収めることを、土地を納めている直接的な領主すら操ることを覚えた。
彼女が守りたかったものは、家の名でも立場でもなく、土地とそこで暮らす民の生活なのだ。ただしき領主。僧籍に身をおいたからこその諦観もあったかもしれない。

だからといって、彼女は手にかけた大事な政次を忘れたわけではないのだ。きっと。
結果のために過程を殺した。結果のために個としての感情は殺した。

それをプライドがないと詰る次世代に「わかってもらおうとは思わない」との態度を取り、じゃあそれ押し通して君はここで何がしたいの?って言い放つ強さ。
大きな犠牲を払ってまで手にいれた暮らしを手放すつもりはないというのは実際そうなのだが、それ以上に彼女は新しく土地を納めている領主を<民を守る>という条件付きで赦してしまったのだと思う。
(まあこれは現領主の人柄だからこそ通じる策である部分も大きく、やはり若干ぐずぐずな部分は否めないのだけれど)

「彼らには彼らの事情があり、(決して私ではなく)民の暮らしを守ってくれるならそれでいい」という強い意志。だからこそ、現領主のプライドを立てつつ操り、そこだけは死守するべく全力を傾ける。実際死守できている。全然弱くない。
全然まけてない。負け犬なんかじゃない。彼女は未だに勝者だ。
彼女は領主になりたかったわけではなく<土地を収めるただしき役割>を未だに務めているのだ。そういう意味での彼女の勝利条件は守れている。
その大きな熱量にあてられた。
これもわりとすきだ。私にはそんな熱量がなくてとてもできないが。

 

 

●熱量と前向きさ
恨むのも赦すのもとても熱量がいる。諦める方が楽で早いから。
恨むより嘆いた方が、赦すより忘れた方がはるかに簡単だし、熱量もいらない。
私は大概そうしてる。

マーガレットは恨むことに全精力を傾けてそれが彼女を生かしていた。とても前向きな気持ちで。
直虎は、土地を収める者としての役割に人生全てを傾けざるおえなくてそうした結果、一般的な女性らしい結婚や出産をしなかった。親が役割を押し付けた事を申し訳なさがった。
けれど彼女はその事で気付けなかったことを気づくことができたと述懐する。
とても前向きな気持ちで。

 

人のいきかたはそれぞれだが、前者も後者も熱量だけはとてもある。
それはもう真似できようはないけれど、見ていて何事も前向きなのは大事だなと思った2017年の晩秋でした。

 

まあ、何ごとにおいても体温が低い私には難しい話なのだが。